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2020年6月27日 (土)

「生産性のない議論」だった記憶

仕事でもそれ以外のことでも、できれば合理性を追求したいものです。

ムダなこと、不毛なことはできれば避けたい。

さて、以前あまり意味のない議論をした記憶があります。
既に起こってしまったことについて、それが間違いだったのではないか、といったような内容の議論。
正直、今更それを言っても、どうしようもないようなものでした。

そのとき、「生産性のない議論だな」と心に思ったのです。

「生産性がない」とは、生まれる付加価値がなにもないということ。

“生産性”は、インプットに対する、アウトプットの量。
式では、
生産性=産出量÷投入量
となります。

つまり、アウトプット(産出されるもの)が何もない、ゼロであれば、生産性がないということになります。

しかし、その議論したメンバーの中には、「議論して気持ちがすっきりした」人がいました。(おそらく)

その場合、そのすっきりした人は多少なりとも付加価値があったので、生産性は極少ながらゼロとはなりません。
その人にとっては、「生産性はあった」ということになります。

「生産性がない」という表現は、「まったく意味がない」というときに使えるもので、多少なりとも意義があればそれは「生産性が低い」という表現が適切となります。

言葉の定義を厳密にすれば、「生産性がない議論」はまったくもってムダな議論ということになるので、そんな議論をする機会は結構貴重だったのかもしれないと、今はそう思うようにしています。
これもどうでもいいこと(=生産性がない)かもしれませんが(苦笑)。

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